limbus company ムルソー 10章考察

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limbuscompany9章が終わりましたね。次はいよいよムルソー章になりますが、今のところまったく想像がつきませんね。8章の眺める事しかできないでは、レイホンが良秀の刀について言及していました。

今回も似たような伏線があるのかなと思い9章をプレイしていましたが、ベスパとのやり取りが伏線につながっていました。

ベスパはN社のタブーハンターでした。なぜ顔を合わせる機会があったんだろう?

なぜ会わなければならない理由があったのでしょうか。ムルソーの性格的に無駄な行動をすることはないでしょうから、好奇心から会いに行ったというわけではなさそうです。

原作のムルソーとの比較


原作の『異邦人』では、アラビア人を殺害します。裁判にかけられたムルソーは、死刑を宣告されます。「すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。」(pp.156-157)

原作のムルソーは処刑の日に自分を憎む人々が訪れることによって「自分は孤独ではない」と感じるみたいですね。

ムルソーは、常識が通用しない思考や行動パターンの持ち主です。例えば、ムルソーは自分の母親を愛していました。しかしムルソーは、「母親が死んだら母親の死顔を見て泣く。葬式の後には遊びに出掛ける気にはなれない」という社会の常識に適応しませんでした。『異邦人』に登場する検事はムルソーの心情を理解せず、非常識な行動をするムルソーを「精神的に母を殺害した男」だと誤解しました。ムルソーは自分の心情を、常識的な形で表現しません。

e.g.oの絵。原作のシーンでもムルソーは迫害されている。

limbusのムルソーはにおいても人々の常識を理解できないような言動をしていました。なので、原作の彼とは違い人の常識を理解できない、囚われていないというような特徴は一致していそうです。

ただ、pvでは

「鼓膜を破るかのような、けたたましい音が耳を容赦なく叩き付ける。
左の2列目から右の15番目の列まで、私に向けられた目玉たちの視線。
89の人差し指と86つの喉笛から溢れ出る哀しみ、恐怖、嫌悪、罵倒。
それぞれの感情の塊で作られた質問が私の息の根を段々と締め付けてくる。

と言っているので、迫害されたことによる苦しみ、はもっていそうですね。

「太陽」とは?カルメンの声との関連性

pvの最後のセリフですね。「ただ、太陽がまぶしかっただけなのに」「太陽」というキーワードは度々出てきますね。 

今は亡きアークナイツコラボのセリフ。カルメンの声についての言及

6章において、ムルソーは他人の鎖で魔王を拘束していました。なので、ムルソーはe.g.oを発現しているのではないか?と思っていましたが、9章で様々な囚人がe.g.oを勝手に使用していることから、ムルソーだけが特別,というわけではなさそうです。

ですが、声自体を聴いたことはありそうですね。温かい光の声をただ温かいだけではないと断じており、声を聴いてありのままそれを受け入れたというわけではなさそう。

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